消費情報環境法学科の設立20周年に添えて

消費情報環境法学科所属 穴沢 大輔

2020年に消費情報環境法学科(以下、JC)が設立20周年を迎えたこと、そしてその半分の期間、少しでもJCの教育に寄与できたことはうれしい限りである。

2010年に着任した私は、JCのコンセプトに沿った法教育を心がけてきたつもりである。学生が1人1台パソコンを保有している状況で少人数教育を施す「法情報処理演習」では、それを積極的に用いて、法的な内容(専門が刑法なので刑事法が主たる内容になるが)を調査、検討させ、現代的な法的課題を考究できる学生を育成しようとしてきた。また、個人報告やグループ報告をさせることでパソコンを用いた表現力(アウトプット)も大切にしてきた。紙からデータに変化しても、法的な思考法や表現方法は今のところは変わらないように思われ、その間はこうした教育を心がけていきたいと考えている。

周知のように、技術の進歩はめまぐるしい。JCでいえば、設置当時に新たな試みとしてなされた教材CDの配布は数年前に終了した。これ自体、2000年時には進歩的だったが、現在、パソコン自体にそれを入れる場所がないのが通常である。さらに、パソコンを持たなくても、スマホが1台あれば、検索等は容易に可能であり、日常生活の情報環境(さらにコロナ禍の今年度はオンライン講義受講環境)への対応として問題ない時代である。現に学生の中には、演習講義でスマホとパソコンをいわば「二刀流」で用いている者もいるし、演習講義のためにパソコン1台を持ち歩くことを不便と感ずる者もいる。

となると、現代型の法学教育にとってパソコンの活用が有用であることが示される必要があろう。個人的な見解としては、おそらく現在では、法的情報の収集は、スマホでもパソコンでも変わりはないように思われる。しかし、法的思考―成果を文章で表現する際には、しっかりと(歩きながらではなく座って)画面に向き合いつつ、複数のデータを検討しながら思考して問題解決へと導くことが求められている。たとえば、刑法の解釈論であれば、裁判官・被告人(弁護士)・検察官のそれぞれの視点に立って、複数の観点から論文や裁判例を見つめ、自己の思考―解釈の結果へと結びつけるべきである。思考を文章に書いて表現するという作業には独特の緊張感と静的な状態の継続が求められ、そのためにパソコンを用いることは現在なお有用であると考える。

しかし、こうした発想も古いのかもしれない。私の8歳の息子はスマホのAIアシスタントと会話しながら様々な情報を得ており、そうだとすれば、その情報から思考したことをアシスタントに話すだけで、ストーリー性のある標準的な文章に「表現」してくれるかもしれない。さらに、やや夢物語の感はあるが、集めた情報からスマホが、その人のこれまでの検索等から思考方法を分析して、その成果も含めてすぐに(他言語の)文章にしてくれるかもしれない。今後どうなるかはわからないが、情報環境及びそのツールは進歩し続けるだろう。

JC設置の趣意書によると、「個人が、社会における責任ある主体としてその社会的責務を果たして行くためには、変容し続ける情報環境に適応して、個人の側から積極的に情報環境に働きかけ」ることが重要で、消費者を取り巻く環境もこの環境の中にあるとされた。時代の先端を進もうとする大学での法教育とは何か。設置から20年後の今、AIと共存しながらなされるだろう法的思考法を検討する時期であるように思われた。

JCの今後のさらなる発展を願いつつ、私個人としても参与し、学生と共に努力してゆきたいと思っている。