思い出深い「消費情報環境法学科」

明治学院大学名誉教授、法政大学法科大学院教授 京藤 哲久

明治学院大学法学部「消費情報環境法学科」創立20周年おめでとうございます。

明治学院大学に在職中、苦労はしたものの、楽しい思い出として記憶に残るのは、法学部に「消費情報環境法学科」というユニークな学科を創設できたことです。今でもそのユニークさは失われていないと思います。同学科の設立に、当時、法学部長として深くかかわりましたが、同学科はその後もてはやされることになった「文理融合」のはしりでもあり、当時を振りかえると、よく設立に漕ぎ着けることができたものだと思います。当時はまだ高かったパソコンを必携にしたのも、他の学部の先生から羨ましがられたのをおぼえています。法学部になぜパソコンを、という疑問にうまく答えることができるとよいのですが、この点は、私はその大切さを確信していますが、日本社会でのIT化の進展はまだまだで、社会的には、合意され、受け入れられるにいたってはいない段階かと思います。皆さんの努力に期待するところ大です。

20年も経てば、同学科の特徴も変容・発展していると想像しておりますが、当時を振りかえると、学科の構想も、そこで開講される数々の科目も、伝統的な法学部の伝統のもとでは大変な冒険でした。にもかかわらず、時代の要請に即した科目をいろいろ提供した消費情報環境法学科が20周年を迎えることができたということは、古い革袋に新しい酒をいれることに成功した貴重な試みであったのではないかと思います。科目が時代の要請に沿っていたかの評価は措くとして、学問が現実の社会の変化になかなかついて行けなくなっている時代、当時発揮されたチャレンジ精神は今日も受け継がれていって欲しいと願っています。

発足当時より、消費情報環境法はどこで切るのかが問題になり、それが長所でもあり短所でもあるかと思いますが、私は、「消費に関する」「情報環境」の「法」と理解し、だからこそ、法学部の一学科として存在しうると理解しておりました。岩波講座「現代の法 第6巻」の「消費者保護と刑事法」という論稿で、「商品やサービスの購入、利用に際して消費者が抱える問題が、情報の質と量における格差、情報処理能力の格差に由来しているという点に着目して、あるいは、より一般的に、人が消費者として企業、あるいは、物、サービス等の商品に向き合う関係を消費「情報環境」と捉え、定義することも可能だろう。この場合、消費者法における消費者は(消費情報環境における)「情報弱者」として把握することができるだろう。」という見方を打ち出すことができたのも、この学科の設立にかかわったお陰で、同学科には学恩もあります。

これは法にアプローチする際の一つの切り口を示すネーミングですが、切り口は、一般性を含むものでないと扱い方が狭くなり、視野が狭くなってしまうおそれもあります。今から考えると、人は誰もが「消費」生活を営むのであって、消費者という階層が存在するわけではありませんから、この切り口は、広い意味では、人に関する情報環境の法として、あらゆる法現象を取り込むことを可能にする着眼であったといえるかもしれません。そう考えると、今後も、今のスタッフの専門を生かして、あらゆる方向に展開して行くことができるのではないかと思います。

大学という制度は、伝統を背負っていることの反面、伝統に縛られがちな専門性の殻に閉じこもって縄張争いを誘発する危険があり、一般に、どの時代でも、伝統と革新が唱えられるのはそのためだと思いますが、同学科をつくったときには、皆が、専門外の領域にも積極的に口を出してかかわって行こう(今風にいうとクロス・オーバーという言葉を使うのでしょうか。)という気持ちが強かったように記憶しています。法学者が専門を持つといっても、これは研究、講義上の都合であって、その対象とするところの法は一つのものとして機能しているのですから、法学者が「法律家」として成熟するには、自らの専門性を取り払って成長するという段階を経験する必要があるでしょう。今振りかえると、これは時間のかかる自己研鑽で、大学教員をまもなく退職する今の時期になって、ようやく、「法律家に少し近づけたかな。いや、まだまだ。」という反省が、自分にもできるようになりました。そんな自己研鑽のきっかけを最初に与えてくれたのも、思い出深い「消費情報環境法学科」でした。

消費情報環境法学科の今後のますますの発展をお祈りします。