明治学院大学 法学部 公式サイト

search

《モダンの検証》  ―動員史観の提唱―

畠山 弘文

担当科目 政治社会学,政治学
専攻分野 動員史観,国家論

 今年は基礎ゼミのほか,政治学(横浜)や政治社会学(白金)を担当していますが,個人としての関心は今日の生活世界のなかで国家がどういう意味をもっているかということにあります。
 これまでの《理想的》な議論によると,主体的な個人からなるいわゆる市民社会がまずあって,これが合理的な選択としての社会契約によって国家をつくる,というのが近代の原則だったのですが,実際のヨーロッパ史は順序が逆で,今日の大規模な《国民社会》は国民国家によりつくられたものといえます。つまり社会の前に国家があるわけです。これは自由主義ともマルクス主義とも違った歴史発展の見方を促します。つまり自由主義もマルクス主義も共に,一国史的観点から国民社会の発展を見ていたわけで,自由主義は社会の複雑性の増大に対する分業の拡大として社会の《進化》をとらえ,マルクス主義は生産関係の必然的な矛盾のなかから社会の《革命》,国家の廃絶を予想しました。19 世紀後半から20世紀前半までを席巻したこの二つの敵対的な思想はしかし,社会内部の関係が社会そのもの,また国家の進路を決めるとみる点で致しており,社会中心的なアプローチであったといってよいのです。ところが社会をつくったのが国家であるとすれば,問題の力点は完結した即目的な体系としての社会ではなくて,当然国家に移行するはずです。そして国家を必要とした国際関係や戦争へと関心は移っていくはずです。こうして見方が180 度転換し,近代という時代における国家と社会の関係が最近改めて検討されつつあります。これをときに国家中心的アプローチといいます。勿論,事はそれほど単純ではないのでして,国家中心ということの意味を過度に強調するのは誤った指針ともなるでしょうが,国家の自律性と規定性を承認し,その効果を考察することが必要になります。私の関心はそうした国家が我々の日常生活にどんな形で影響を与えているかということにあります。一例をあげると,近代的な身体が成立するのはヨーロッパではナポレオンくらいの時期ですし,日本では明治です。それまでは日本人の多くは《ナンバ》という伝統的な動作をしていました。つまりお相撲さんの手と足が同時に前に出るあのやり方ですね。これが農耕という生産様式に適した一般的な身体をつくっていたわけです。旧陸軍の兵隊も同様で,はじめは腹這いになって前に進む《ホフク前進》ができなかったということです。明治国家の軍事教練によって近代的な戦士と産業労働者にふさわしい身体が作られるのです。身体はきわめて政治的な対象であって,さまざまな権力が交差する場であったわけです。
 授業との関連ではごく卑近なところでは,できるだけうまくノートをとる技術を身につけてもらいたいと思います。またちょっと過度な要求としては,センスの学問である政治学では,生真面目であるよりは,軽やかさや軽みが重要です。周囲の期待を自覚しつつこれを越え,時代の要請を裏切る自由の実践。

 《主要著書》
  『官僚制支配の日常構造』(三一書房,1989 年)
  『近代・戦争・国家―動員史観序説』(文眞堂,2006 年)